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QUEEN+ADAM LAMBERT THE RHAPSODY TOUR 2024

 

Ay—–Oh!

 

Queenの数年にわたるTHE RHAPSODY TOUR、最後にもう一度日本にやって来てくれました。

ライブの感想はローリングストーンの記事がとてもよくまとめられていたのでそちらをご覧いただくとして。

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クイーン+アダム・ランバート来日公演を総括 大合唱と人間愛に満ちた集大成的な一夜

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かれこれもう人生の半分以上になっているクイーン歴。人生ですね。会場には自分以上に人生をかけているであろうたくさんのファン。お年寄りには2時間強立ちっぱなしはきつかろうて。でもみなさん若返ったように楽しんでおられました。映画ボヘミアン・ラプソディからのファンか、若い世代もいましたね。まさに老若男女。

 

今回感じたのは、アダム・ランバートが今のクイーンには欠かせない存在になったということ。

「クイーンはフレディがいてこそ」というファンの気持ちもわかる。しかしクイーン+アダム・ランバートのライブに行けばアダムの存在の大きさ、フロントマンとしての才能を認めるはず。

歌い方は違うけれど、フレディと同じ「パフォーマー」です。

そして4年前のライブからさらにパワフルになったブライアンとロジャー。76歳と74歳。凄すぎる。いつまでもプレイして欲しい。そしてまた日本に来て欲しい。福岡にも…

 

 

 

 

 

宮﨑 駿 監督作品 君たちはどう生きるか

 

宮﨑駿の最新作。ついに公開されました。

というか広告宣伝の類が一切なかったので、自分も「え! 今週金曜から?」という感じで観に行きました。

映画の感想はいつもパンフレットの画像を載せていますが、今回ありません。なんと後日発売するそうです。このように公式も徹底して情報がもれないようにしているので、感想は何も言いません。日が経てばそのうち追記します。

ひとつだけ言えるとしたら、吉野源三郎の同タイトル「君たちはどう生きるか」は読んだ方がいいです。ストーリーに関わるというよりも監督からのメッセージとして。

 

2017年11月 新作発表時のブログ

 

 

THE FIRST SLAM DUNK

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この映画はやっぱりブログにも載せておくべき作品。

 

SLAM DUNKは週刊少年ジャンプで1990年から96年まで連載された井上雄彦によるバスケ漫画。サッカーがキャプ翼ならバスケはスラダン。テレビアニメも制作された超人気作品。

連載終了から四半世紀の時を経た昨年1月。新たなアニメーション映画になると発表され大きな話題に。実写化ではなくアニメ作品ということでファンもお喜びでした。
 
ところが公開までひと月とせまった頃、新作が当時のテレビアニメ版の声優ではなく新しいキャストになると発表されると批判が殺到。アニメの声優交代って思いのほか受け入れられない人が多いんですよね。これをきっかけに「アニメといってもフルCGか…」「花道の声ジャイアンしか浮かばない」「監督を原作者自身がやることが不安」とネガティブな意見が目立つようになってしまいました。
 
さて。
私もリアルタイム世代なので原作は夢中で読んでいました。なんなら読切の「楓パープル」(流川楓が主人公で、スラムダンクの元になった読切漫画)から好きな漫画です。最終回から10日後のエピソードを高校の黒板に描いたカードも部屋のどこかにあるはず。
公開初日に行く予定はなかったのですが何かに突き動かされるかのように思い立って観に行きました。
 
感想は
「井上雄彦を信じろ。」
ですね。
 
観た後、とにかく体を動かしたくなり映画館から歩いて家まで帰りました。
 

この映画、バスケシーンが最高なのは言うに及ばず、人間ドラマにも胸がいっぱいになります。
 
スラムダンクの主人公、桜木花道というのはやっぱり「週刊少年ジャンプ」のヒーローなんですよ。ド派手な赤い髪。長身。怪力。天性の身体能力。何者も恐れない底なしの自信。
ジャンプ少年たちは花道に憧れて成長していく。自分たちにはどんな才能が眠っているんだろうかと。そして多くは大人になるにつれ「あれは漫画の中の主人公だった」と気づいていく。社会に思い知らされていく。
 
時が経ち、井上雄彦はそんな元ジャンプ少年たちに再び「SLAM DUNK」で何を見せてくれるのか。
言ってしまいますが、この映画の主人公は桜木花道ではありません。
宮城リョータ。

バスケの選手としては小柄。天才と言われた兄と比べられてしまう凡才さ。家族に訪れる悲劇。心に抱えた悲しみ。母親とのわだかまり。

この映画ではリョータを現実的な、等身大の人間として描いています。

誰しも生きていればなにかあるんです。みんなきっとリョータのように踠いて生きてきたはず。

持たざる者、挫折した者、怖れる者はどう生きていくのか。

これはそんな我々の心に火を灯してくれる映画です。

 

年をとったせいか、映画のリョータがいじらしくてですね。

母親の気持ちもわかる。リョータの気持ちもわかる。うんうんと言いながら抱きしめてやりたい。

スラムダンクの連載終了後の作品「バガボンド」「リアル」で求道者とも思える作風を見せた井上雄彦の人物描写。さすがです。この映画でスラムダンクをさらに大人向けの作品に昇華させてくれました。

 

引っ込みがつかなくなっていまだに「絶対観に行かない」と意地を張ってるキミへ一言。
 
「大人になれよ…三井…!!」
 

いや、本当にね、あの井上雄彦自身が監督をしてくれたというのは幸せなことですよ。スラムダンクでこれ以上純度の高い映画なんてありえないわけで。映画館で観た方がいい。

 

 

 

 

ベルセルク 再 開

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嬉しくて泣いてる

 

 

亡くなった原作者三浦健太郎の盟友であり漫画家の森恒二は、最終回までのストーリーを本人から聞いていたらしい。

それを三浦のアシスタントたち「スタジオ我画」が描くと。

 

伝え聞いた物語を弟子たちが描くとか

教典だよね。

 

シン・ウルトラマン

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パンフの「ネタバレ注意」の帯、シン・ゴジラのパンフと全く同じものが巻かれてた。

 

ではネタバレしない感想を。

 

見終わって映画館を出て駐車場までめちゃくちゃ背筋真っ直ぐで歩いてしまうぐらいカッコよかったです。

 

キャストがいいですよ。斎藤工は背格好といい顔つきといいウルトラマンっぽい。禍特対のメンバーもキャラが立ってる。

 

 

以下ネタバレ注意!

 

シン・ゴジラとスタッフも近いし、似たような雰囲気の映画になるのかと思っていたが、ちゃんと「ウルトラマン」だった。

ジャンルとしては「怪獣映画」のシン・ゴジラに対しシン・ウルトラマンは元々のテレビシリーズの軽さ、コミカルさも持たせた「特撮ヒーロー」と言える。

 

では作品全体の印象もシン・ゴジラよりも軽いものだったかというとそうではない。自分にとってはシン・ゴジラより心に響くものがあった。

 

一定の完成度を超えている映画であれば作品の評価は観る人の心の状態で変わる。どういうテーマに感動したか、どのシーンに感動したかで今の自分が何を求めているかが写し出される。

 

 

禍威獣(カイジュウ)が暴れる山間部、現場に逃げ遅れた子どもを発見した禍特対(カトクタイ)の神永新二は保護のため走る。

そこへ宇宙からすさまじい速度で光の巨人(ウルトラマン)が降着。その衝撃波で舞い上がる土砂、飛来する土石。神永は身を挺して子どもを救った。

自分の命とひきかえに子どもを救った人間の行動を不思議に思ったのか。ウルトラマンは神永と融合し、禍特対の面々と交流する。

 

初めは人間への好奇心と少しの懺悔だったのかもしれない。だが人間を知るにつれ(あるいは神永の心が残っており影響したのか)、それは愛に変わっていく。

圧倒的な力を持つウルトラマンが小さく非力な人間に憧れている。そして本質的な意味で人間を救おうとする。

憐憫ではない。人間の個々の力は小さいが群れになった時の力を認め期待もしている。

 

終盤、超巨大でとてつもない戦闘力を持つゼットンに、敵わないとわかっていながらも地球を守るため戦いを挑むウルトラマン。

胸を打つシーンだ。

もし劇場に来た子どもたちが「がんばえー!」と叫ぼうものなら号泣していたと思う。

 

自分のために生きる時代だ。

国のため会社のため誰かのためではない。自分らしく、自分の思い通りに生きよう。個を重んじ多様性を認めていこうという世の中だ。

もちろん個人の幸せを求める生き方は賛成だし自分もそう願う。その意味では良い時代になりつつあると思う。

 

だがこの追い風の中「自分本位」「利己」で何が悪いという主張も増えつつあるのも事実。

炎上しても注目されれば収益が上がるビジネスシステム。目的のためなら手段を選ばず。(私の苦手な言葉です)

国のためと言いながら私利私欲に走る政治家。職場や職業上の権限を悪用し私腹を肥やす上役たち。お手本となるべき人たちがこれでは下はバカらしくてやってらんねえとなる。道徳や倫理はどこかへ行く。

 

シン・ウルトラマンは、この尊厳が希薄となった世の中に、今だからこそ、ピュアなヒーローを描いたのだ。

クライマックス、人類の命運と神永(ウルトラマン)の命を選ぶ時、禍特対のリーダー田村は迷いなく部下の神永の命を優先する。(この田村の即断にも涙する)

だが神永は、人間を救えるなら自分は構わない、ときっぱりと言う。

自己犠牲を賛美する時代ではない。

しかし、利他の行動に崇高な美しさを感じるのは人間の実相だ。

ウルトラマンは行動で示す。恐れるな。誇り高くあれと。

 

禍威獣は漢字でわかるとおりコロナ禍だ。ベータカプセルをめぐる争いは核に象徴される強大な力を求める国の姿だ。

人類が危機に瀕している時もこのありさまかと。

人間、今こそ力を合わせる時だろうと。

一人ひとりは小さいが大きな知恵と力を生むはずだと。

 

 

見終わった後、数日ウルトラマンのことを考えるぐらいに心に響いた。

つまりは自分が今、求めていたのはピュアなヒーローだったということだ。

 

そんなにウルトラマンが好きになったのか、人間。

 

と、ゾーフィに言われると思う。