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ラ・ラ・ランド

lalaland

衝撃作「セッション」の監督デイミアン・チャゼルによるミュージカル映画。女優をめざすミアとジャズバーを開く夢を持つセブのロマンティック・コメディ。アカデミー賞史上最多14ノミネート6部門受賞。

 

素晴らしい映像と音楽、主演二人のチャーミングな演技とダンス。ここ数年で観た映画の中で5本の指に入るぐらい面白かったのですけど、意外に評価は賛否わかれるようです。

 

そもそもミュージカルがダメという人もいます。いきなり歌い出されて虚を突かれるみたいな。私は子どものころに所属していた団体でミュージカルをたくさん観る機会があったので何の違和感も没入感が途切れることもないです。慣れの問題もありますよね。

 

ミュージカル問題はさておき、先日テレビで放送された際、ミアとセブが結ばれない映画のラストに「納得いかない」というツイートが多く見られました。バッドエンドじゃないかと。
しかし、この作品はあのラストありきだと思います。結ばれていたらこの映画の存在理由がなくなってしまうというか…。
自分のつたない説明よりも、監督の言葉を紹介します。回ってきたツイートを引用させてもらいます。

 

 

これです。

 

人は自分の人生を大きく変えてくれる人と出会う。しかしその人とは離れなければならなくなる。なぜなら、人生が変わるから。

 

とも言い換えることができるのではないでしょうか。

お互いの人生を変えてしまうほどの運命の出会い。そのおかげで拓けた新たな道を進むがゆえ離れざるを得なくなる。この切ないジレンマ。

 

幸せはひとつの理由で決まるものではない。関係が続けばハッピー、別れたらアンハッピーという単純なものではないはず。夢を選んで別々に生きる二人だけど、二人の愛は確実にあり続けている。それは別れたからこそ美しくあり続けている。

 

「セッション」の鬼教師フレッチャーは本当に主人公を導くつもりだったのか、自分のために生徒を利用する悪人だったのか。
どちらでもない。両方あるんだと思います。人間はひとつの側面で理解できるほど単純なものじゃない。「セッション」を観た時、この強烈にリアルな人間の描き方に感動したんです。そして人生にはどちらかなんていうものを超えた美しい瞬間がある。

 

「セッション」と「ラ・ラ・ランド」、映画の雰囲気は全く違うんですが、この観点で似ています。複雑で深い人間というものをそのまま捉え表現すること。何かを得るためには犠牲が伴うということ。そしてその先にある美しいものをちゃんと見せてくれています。